Archive for 10 月, 1998

地震の話

10 月 13, 1998 By: isetoru Category: 日記
Comments Off

最近関東で地震が多いと感じないだろうか。
朝夕構わず気が付くと揺れている時がある。
もう今更という感じで地震に慣れてしまっているが、これがかえって
大地震の際に悲劇をもたらすのではないかと思うのだ。

阪神大震災の時は、高速道路は倒れ、住宅密集地ではしばらく把握で
きないくらい犠牲者が出た。
道路も情報網も寸断され、火事の勢いは衰えない。
かつての関東大震災の話を聞いたことがあるだけの世代が、都会での
大地震を初めて、しかも映像で目の当たりにした瞬間だった。
その光景に日本中が震撼したはずだ。そして改めて「地震は本当に恐
いものだ。地震に備えなくてはならない。」と認識した。緊急時のた
めのグッズが飛ぶように売れ、各地で品切れ続出だったらしい。

ところが今はどうだろうか。
あの都会での大地震による被災という現実から3年ほどしか経ってい
ないのにもう地震に備えようという風潮は全く感じられない。
神戸では当然続いているのだろうが、特に関東では全く感じられない。
こういう中で大地震が関東に起こった場合、阪神大震災以上の悲劇が
待っているのは想像に難くない。
東京の下町などで地震、火災が起きた時は大正時代とたいして変わら
ぬ状況になるだろうと思う。

最近伊豆付近でまた地下の活断層のずれがどうとか動きが活発だとか
言っているが、本当に恐いのは関東である。
備えだけはしておかなくてはならない。
「そんなのが起きた時はどうせ死ぬんだよ」と言っている知り合いが
いたが、それは明らかに間違いである。
備えていれば助かる「可能性」が上がるのである。
それを放棄した時点で死は確実に降り注ぐ。
そう、何かに備えることは可能性をアップさせる作業なのだ。
もちろん確実ではない。だが、1%が2%になったら可能性は倍である。
受験勉強や資格試験に向けて勉強することとなんら変わりはない。

阪神大震災の時は、一瞬で家具が倒れてきて下敷きになり、そのまま火
がまわって焼け死んだ人も多かったようだ。その家具がもし固定されて
いたら?生き残る可能性は変わりはしないだろうか。

地震の直後、せっかく生き残っても地震に対する認識、知識の違いがそ
の後の可能性を大きく変える。
まず玄関が崩れただけで履き物を得ることが出来なかった人。
裸足で逃げることが出来る程被災後の道路は平らではない。
ガラスの破片の道を裸足で越えることは出来ない。
次に避難経路を知っている人と知らなかった人。
家から脱出してもどこへ行けばいいのか一瞬で判断できなければどうし
ようもない。
また、震災の数日後に崩れたビルの下敷きになって死んだ人がいた。
崩壊しかけた建物が危険なものであるという簡単な知識がもしあったら?
ビルは傾いていても解体業者が来るまでもう崩れないとでもいうのか。
さらに崩れた自宅へ物を取り出しに行く時にタバコを吸っている人間がいた。
悲惨な状況で落ち着きたいのかも知れないが、漏れて溜まっているガスに引
火する可能性があるので絶対にやってはいけないことだと知っていたら事故
の可能性を消すことが出来ないか?

少しずつ、だが出来るだけの事をして、もしそういう日が来たらどうなるか、
どうすべきかをシュミレーションするくらいのことはやっておいても損はな
いと思うのだがどうであろうか。
くれるかも分からない下らない保険に入るより、いつも枕元に厚底の靴を一
足置いておく方がよっぽど役に立つのではないか。
家具を簡単にでも固定する方が自分を守りはしないか?

私は大分前のことになるが、家具を簡単に固定して、枕元には懐中電灯と要
らなくなった運動靴を置いている。
逃げ道については行き先は3カ所程意識している。
道自体は臨機応変に行くしかないかも知れないが。

昼間に出先で被災した場合も、地震に対する知識、どういった場所が安全・
危険なのか、咄嗟にどうすれば良いのか知っているだけで全く変わるだろう。
阪神大震災の後、東京でも「もし職場にいる時に被災したら(考えてみると
可能性は高い)」ということを想定していくつかのイベントが行われていた。
その中の一つに「歩いて自宅まで帰ってみる」というものがあった。
首都圏とはいえ、自宅というと結構な距離があるだろう。だが一度はやる価
値がある行動だと思う。ただ、私の場合は都内から歩いて行き来したことも
あったが、間に川が多いため実際はどうなるか分からない点もあった。

「備え有れば憂い無し」という言葉はいつの時代も変わらないだろう。

_
★ブログランキング参加してます!!たまに↓をクリックしてもらえると嬉しいです(^^b




スポンサード リンク

福神漬

10 月 07, 1998 By: isetoru Category: 日記
Comments Off

カレーをよく食べる。
インド風やその他のジャンルもよく食べるが、やはり和風が多い。
で、和風カレーといえば、添え物にらっきょうや福神漬がある。

私は福神漬派で、気分によって大量に食べることがある。
するとその質が気になってくる。福神漬の名産地というのがあるのか無いのかはよく知らない。
だがやはり旨いものと不味いものはあるわけで、毎回食べるときに
気にしている。

 第一に外見の色を見る。
これがいきなり真っ赤っかの合成着色料大量投入の形跡アリ、即時
撤退せよという感じだともう駄目である。まあそれらしき自然の色
に見せる合成着色料を用いたものもあるらしいが、とにかく真っ赤
っかはそれ以前で駄目である。

 第二に中身を分析する。
まず福神漬なのだから、当然中身に色々入っているのが望ましい。
出来ればゴボウが入っているものがいい。
七味唐辛子と一味唐辛子の違いと同じである。

 第三に食べてみる。
まずそれ単体を一切れ食べてみて、旨ければカレーの隅にちょっと
置いてみる。そしておもむろにカレーとご飯を合わせたものでさら
に福神漬をすくい取って食べてみる。
そこで最終判断が下されるわけだ。
合わなければもう皿にのせない、合っていればゴーサインが出て大
量に盛ってしまう。

まあざっとこのようなフローチャート(?)を経た後で食事となる
わけだが、この間の時間は短い。上記の作業は瞬時に行われる。
だから勿論ずっと眺めているわけでは無い。

たかが添え物というかも知れない。
だが、カレーを楽しむためにはあらゆる面を充実させるのは当然の
ことだと思うのだ。
せっかく旨いカレーを出しておきながら、その周辺環境に目を配
らなければ全く興ざめではないか。
カレーが旨い上で、さらに添え物も旨い。
店の雰囲気も良いし掛かっている曲もいい。
カレーを本当に楽しめたら、これほど嬉しいことはないと思うの
である。


_
★ブログランキング参加してます!!たまに↓をクリックしてもらえると嬉しいです(^^b




スポンサード リンク

民族音楽

10 月 04, 1998 By: isetoru Category: 日記
Comments Off

世界中の民族音楽を聞いてみたいと思っている。
それらの国々の言葉はさっぱり解らなくても、音楽なら聞くだけでよい。
だから世界を楽しむことが出来ると思うのである。

ただ、民族音楽といってもジャンルはかなりたくさんある。
どれくらいのジャンルがあるのかも定かではない。
当然CDショップなどへ行っても、たくさんあってとても買い切れない。
困ったことに中古もあまり見かけない。
そこで、何となく聞いてみたいと思ったものから適当にぱらぱらと買った
りしてみている。たまに新聞などでまとめてCDを売っていたりするが、
どうもああいうのは好きではない。
やっぱり一枚一枚安いものでも自分で選びたいものだ。

最初にまとめて色んなジャンルが入っているCDを買ってみた。
で、少しずつ買っていこうかなと考えた。何しろ初心者なのである。
まだそれ程聞いたことがあるわけではないが、少しだけ挙げてみよう。

フラメンコ。
これはどうも目の前で踊りが繰り広げられているのを録音しているのが多
いようだった。そう、視覚的な面が相当大きかったのである。
ただ、音楽自体としても結構楽しめた。機会があれば踊り付きで見てみた
い。単独のフラメンコギターも結構好きである。
当然、歌は全般的に情熱的。

アルゼンチン・タンゴ。
どうもラテン系に偏っている。
実は大学の第二外国語もスペイン語を取っていた。そういう嗜好があった
のかも知れない。これは結構自分の好みに合っている。
案外歴史の浅いジャンルらしいが、奥は深そうだ。
映画「12Monkeys」(近未来系SF)のバンドネオン(アコーディオンの
ような楽器)を使った音楽はこれ系だったと思う。
それとピアノ、ギター、バイオリンなどを使うようだ。歌はやはりというか
当然情熱的。最近世界的チェリストのヨー・ヨー・マがセッションしている
CDを買った。その後今も何かのCMで演奏している姿が流れている。
また、数少ない日本人バンドネオン奏者である小松良太も最近メジャーな感
じがする。

ボリビアン・フォルクローレ。
南米アンデス系の民族音楽である。
まあ「EL CONDOR PASA(コンドルは飛んでいく)」のような音楽で、どこと
なく日本人に親しみがあるような気がする。
ギター、サンポーニャ(筒を横にたくさんつなぎ合わせた笛)、ケーナ(縦
笛)、チャランゴ(ウクレレっぽい?)、ボンボ(太鼓?)などが使われる
ようだ。中でもケーナの音がどことなく尺八っぽいのが日本人が好きな哀愁
を醸し出しているかも知れない。つい最近そのケーナを買ってみた。
だがあまり練習していない。
口の部分の作りが結構特殊な感じがする。音も面白い。
これ系の音楽は大好きである。たまに道ばたでこういう音楽を演奏している
と、立ち止まって聞く。うまければちょっとはお金を出そうと考えている。
歌は哀愁があり、どこか悲しげなものが多いような気がする。

ブルガニアン・ポリフォニー。
柏レイソルに来たFWストイチコフの故郷ブルガニアの民族音楽である女声
合唱である。これは声だけだが非常に特殊で美しい和音を生み出している。
冷戦時代にはすっと秘密のベールに包まれていたものらしい。
そういえばブルガリアは東欧であった。
CM音楽としても結構メジャーになりつつあるジャンルではないだろうか。
最初は車か何かのCMに使われたようだ。
今では吉川ひなのが出ている「サプリ」のCMの音楽がこれ系だ。
時に不気味で神秘的、だがその美しさに魅了される。

声の特殊性と言えば、モンゴルのホーミーも外せない。
非常に特殊な歌い方により、同時に二つの音域の音を出すことが出来る。
そういえばある音楽家が子供達にホーミーの説明をする時、
「オヨヨヨヨヨと言いながら首を左右に激しく振ってごらん」
と教えていた。やってみたら成る程、ちょっとだけそれらしき音が出た。

アイリッシュ・ケルト系の音楽。
90年代に入ってから世界的ムーブメントがあるらしいが、そういうのは
あまり肌で感じ取れない。音的にはフィドル、ギターといったところなの
だろうか。バグパイプも出てくる。
歌も透明感があり、どことなく懐かしいような気分にさせてくれる。
これはもうちょっと聞いてみたい。

その他にも随分色々あるが、キリがないのでとりあえず今回はここまで。
またこれから色々聞いていきたいと思っている。
もっとメジャーなジャンルだったら安く中古が出回るのかも知れないが、
とりあえずは駅の安売りCDなどを見て回るしかない。

何かあなたのお薦めはありますか?

_
★ブログランキング参加してます!!たまに↓をクリックしてもらえると嬉しいです(^^b




スポンサード リンク

小笠原諸島・父島

10 月 03, 1998 By: isetoru Category: 日記
Comments Off

小笠原諸島は東京から南に約1000キロ行ったところにある。
距離から見ても相当なものである。島民は約500人。面白いことに都民である。
長い間アメリカの一部だったが、70年代に入ってやっと日本の島となった。
ダイバーのメッカだと聞いていた。

そんな父島へ行った時、「ここは日本の果ての一つに違いない」と感じたものだ。
何しろ、そこへ至る手段として飛行機が存在せず船のみである。
しかも船は約六日に一便のみ、一つの船が行き来しているだけなのだ。
東京から30時間ほどかけてやっとたどり着くことが出来る。

着いたときまず始めに思ったことは、海の異常なまでの美しさである。
結構大きな船が停泊している港で、降りる時に船の横から下を見ると、すべて透
明で底まで見える。そしてそのぎらぎらとした日差し。その時は3月だったとい
うのに全くもって全身を焼きつけるようである。
私は船が次に出発するまで、その中の二段ベッドが二つ並ぶ部屋に泊まる安いプ
ランで来ていたので、とりあえず荷物を置いて外へ出た。
 するといきなりこの島へ来た人間は皆行くんだよと言わんばかりに、次々とワ
ゴン車に乗せられて島をまわる観光コースへ連れて行かれた。
まあ観光コースと言っても、島自体がそれほど大きなわけじゃないのですぐに巡
りきってしまった。
小笠原諸島にしか存在しない固有種の植物が多くて目を引いた。
崖から海を見る展望台へ行ったときは、隣の兄島の崖の急斜面に山羊がぽつぽつ
と見えた。そういえばこの兄島に空港を作るかどうかでもめているなんて話があ
った気がする。

夜になって、島の中心部の町をうろうろしてみることにした。
といってもそれ自体たいした広さではない。港の近くに少しだけ商店が点在して
いる。生協があり、入ってみると新聞が一週間分ずつ束ねられて売られていた。
週に一度の船しか輸送手段がないのだから当然と言えば当然である。
東京スポーツ7日分が800円位で売られているのを見るのは新鮮な驚きであっ
た。勿論、食料もそういう事情があるのだろう。
村の人達が食料の買い込みに大勢訪れていた。
他にいくつか土産屋や定食屋のようなものがあったが、気になるのがレンタルビ
デオ屋が3件ほどあったことである。周りの状況から考えていかにも多い。
その日のうちに分かったことだが、この島々では何と衛星放送以外電波が届かな
いのだ。それじゃビデオを借りたくもなる。
その後で入った定食屋ではNHK-BSの世界のニュースがテレビから流れてい
た。定食屋の人の話題もその世界のニュースだった。ううむ、面白い。
今ではディレクTVやスカイパーフェクTVに皆加入しているのではないだろう
か。ある意味都会的である。

次の日から泳げたら泳ごうということになった。自転車を借りて、泳げるという
浜辺まで行く。高い崖の上から海を見ると透明でどこまでも海の底が見えている。
途中戦争中の船の錆びた残骸が青い海にぽつんと沈んでいる場所があった。
ハワイ、グアム、サイパンの3回だけ私は外国へ行ったことがあったが、どう考
えてもこの島の方が美しい。飛行機でがんがん人が訪れるようなことが無いから
かも知れない。当然人も車もほとんどいない。
一番大きいというホテルも3階建ての小規模なものである。あとは民宿だ。
船しかないのは地元の人には不便かも知れないが、観光客には全くもって嬉しい
ことだ。ただ、急病人が出た時は置いてある自衛隊のヘリで搬送されるらしい。
そういう話を聞くと、経済的な事情と合わせて暮らしの厳しさも見えてくる。

結構暑いので泳げるのだが、やはり春なので海の水自体はちょっと冷たかった。
ここに夏に来たらどんなにいいだろう。
それにダイビングで来たら必ず素晴らしい光景が見れるだろうから、次は是非
出来るようになりたいものだ。

やたら明るい色の鳥が目の前の岩をついばんでいた。
側の海水と川の混じったあたりの小川にはグッピーがいるという看板が立って
いた。自分が国内にいるとはとても思えなかった。
他の浜辺では、真っ白い棒状の珊瑚のかけらが地面を埋め尽くしていた。
面白いので拾ったり投げたりしてしまった。何となく贅沢な遊びだ。

お土産屋をまわっている時、店番をしていた老人が島へ来たらしき人達と話を
していた。彼女らは鯨の置物のようなものを買おうとしていたらしい。
老人は、「何で鯨で騒ぐのかさっぱり分からないねえ。鯨は食べるもんだよ。
あれよりうまい肉は無い。じいちゃん大好きだ。」
むう、なるほど。さすが南国の老人だ。
確かに鯨を見てそんなに騒ぐのも変と言えなくもない。

でもやはり鯨がジャンプするようなところは見てみたい。
だから食べるのは先に延ばしてホエールウオッチングに参加した。
夕方のことであった。腹が減っていたので直前に定食屋でBBCニュースを見
ながらカツ丼を食べてしまった。
美味しかったが、これがまずかった。
小型のクルーザーで湾から出ると、もう船は上下左右にグラグラである。
吐いた。普通は吐くと楽になるはずなのだが、全部吐いてもまだまだ胃がひっく
り返りそうだった。胃液を海へ吐きながら(海よごめんなさい)鯨のいる場所ま
で行った。鯨がいた。だがジャンプしてくれなかった。
ヒレでぱしゃんっ、と海を眠たげに打っているだけである。
ちょっとがっかり。だがその時である。
美しい南国の夕焼けの中、驚くべき光景が展開された。

イルカである。しかも数が半端ではない。船を操縦していた人も驚いた。
「あんたら運がいいねえ。少なくとも200頭以上はいるよ。」
夕焼けの中とにかく船の周りじゅう、いや、遙か遠くまでイルカが大量にジャン
プしている。何が楽しいのか我々の船の横にも来て目の前でどんどんジャンプする。
こんなに自然の中で生き物を見て感動したことは無かった。
動物も我々も楽しんでいる。こんなに素晴らしいことがあるだろうか。
餌を投げたり頭を撫でたりキスをしたり芸をしたりするこ汚い世界は微塵もない。
ただたまたまお互い通りすがった同じ生き物なのだ。
気持ち悪かったことなどすっかり忘れてしまった。

そういった日々を過ごして南国父島への旅は終わった。

ただ、ホエールウオッチングでよっぽど懲りたためか、帰りの船ではほとんど何も
食べず、ずっと横になったままだった。
東京に着いた時非常に空腹だったのが印象深く残った。

父島には、いつかまた行ってみたいと思っている。


_
★ブログランキング参加してます!!たまに↓をクリックしてもらえると嬉しいです(^^b




スポンサード リンク

石投げコンバット

10 月 02, 1998 By: isetoru Category: 日記
Comments Off

小学生の時、「石投げコンバット」という遊びをやっていた。
家の裏の方にある広い空き地がいつも舞台だった。
そこは背丈より高い草が生い茂っていた。

内容はこうだ。
まずチームに分かれる。そして小石を集められるだけ集めてお
互いが見えなくなる草むらに入り、ひたすら石をぶつけ合うの
である。原始人的なサバイバルゲームとでも呼ぶべきだろうか。
がさっと音がした草むらにとにかく狂ったように石を投げ込む。
手元の石などすぐ無くなるから、その場の地面に埋まっている
石を掘り出してでも投げ込む。
一人が囮になって相手を見つける。
また、石を誰もいないところに投げて攪乱する。
今考えるとまともな遊びではない。
でも子供にとってはさほどのものでもなかったらしい。
しかし、小石を投げ合うといっても当然その大きさはマチマチ
である。白熱すると、当たれば痛いものが徐々に増えてくる。
当たって相手が泣くこともあった気がする。
それでも次の日にはまたやっているのだから、いかに面白いも
のだったのか想像に難くない。

その草むらは、その後背丈の高い草が刈り取られてしまった。
刈り取られた跡を見ると、そんなに広い空間でもない。
しかし気分はジャングル、密林で戦う戦士のような状態だった
に違いないのだ。

その当時既にコミュニケーション手段はファミコンであり、必
ず誰かの家でゲームをやっていた。
その中でこんな原始的な事をやるというのだから面白い。

他に同時期にやっていた遊びに靴蹴りがある。
公園のブランコに片足の靴を脱ぎかけの状態にして立ち乗りし、
反動を利用してより遠くへ飛ばすという遊びである。
その辺を歩いている子供の頭にも当たるし、道路に飛び出して
車に轢かれるし、手前のどぶに落ちるしで、靴にとっては散々
だったに違いない。

子供は遊びの天才だという言葉があるが、まさにその通りだと思う。
それはこれからもずっとそうなのだろう。
遊び場がある限りは・・・。

_
★ブログランキング参加してます!!たまに↓をクリックしてもらえると嬉しいです(^^b




スポンサード リンク